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織田木瓜

20128/15

人間五十年…

小学校の時に織田信長という人物に惹かれ、憧れて、歴史に関わるようになってきました。
そして、織田信長は「人間五十年…」と謡って舞うのが好きだったと知り、そして49歳(満48歳)で亡くなり意外と短命であったことを知って、自分も50歳までに一旗揚げないといけないとおぼろげながらに思っていました。

しかし、実際に48歳の6月2日(本能寺の変の起きた日、但し旧暦ですが…)に、ああ自分はもう信長が亡くなってしまった歳になったと思ったときに、私の野望は終わったような気にもなったものです。

でも、その年齢を過ぎてしまってこのままでは終われないと感じて、こうやって「信長の野望」を立ち上げる気にもなったのかも知れません。



さて、信長が本能寺の変で自害する際にも幸若舞の敦盛「人間五十年…」を舞ったと思い込んでいました。それはドラマなどで織田信長の最後となるとそのシーンが映っていたからだと思います。
しかしながら、そんな記述は見当たらないようなのです。有名な『信長公記』の最後にはこんな感じで書かれています。

信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし侯へば、何れも時刻到来侯て、御弓の絃切れ、其の後、御鎗にて御戦ひなされ、御肘に鎗疵を被り、引き退き、是れまで御そばに女どもつきそひて居り申し侯を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け、焼け来なり侯。御姿を御見せあるまじきと、おぼしめされ侯か、殿中奥深入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て、無情に御腹めされ

では、なんで亡くなるときに幸若舞の敦盛を舞ったとなったのか。まさに私が感じたように「人間五十年…」と謡って、実際に約50年で生涯を閉じたことをダブらせる演出なのだと思います。

では、いつ幸若舞の敦盛を舞ったのか、ということですが、これは桶狭間の戦いで出陣するときに舞ったことは聞いたことがあります。
これについては、同じく『信長公記』に次のように書かれています。

此の時、信長、敦盛の舞を遊ばし侯。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて、螺ふけ、具足よこせと、仰せられ、御物具めされ、たちながら御食を参り、御甲をめし侯て、御出陣なさる。

確かにこの時には、「敦盛の舞」を舞ったことが記されています。

ただ、この幸若舞について最近やっと気がついたことが2つあります。

1つめは、「下天」です。これは敦盛(平清盛の甥)が熊谷直実に討たれ、熊谷直実が無情を感じて出家し現世無情を吟朗した「敦盛」では、

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の有るべきか」

と記されており、もとは「下天」ではなく、「化天」であることです。「化天」とは六欲天の五番目である「楽変化天」のことのようで、「下天」としてしまうと、六欲天の最下位の世であることになります。
でも「下天」の世は一昼夜は人間界の50年に当たるとされていたそうで、まさに「人間五十年」はまるで一日のようだとなって、はかなさを表現するのに合っています。これが意図的かどうかは分かりませんが、信長のことを象徴した表現への変更になっていますね。

2つめは、「敦盛」を舞ったことですが、これもドラマか漫画で見た影響かも知れませんが、出陣前の幸若舞を信長は数回舞ったように思っていました。しかし、『信長公記』にはそんなことは記載されていなかったんですね。

では、なんでそう思ったのかということですが、実は『道家祖看記』によると、信長は3度幸若舞を舞ったと記されているそうです。まだこの史料は確認をしていないのですが、『信長公記』に記されていないが、他の史料にしるされていることが、まるで『信長公記』に記されていると思い込んでしまったのでしょう。

やはり、ちゃんと史料を追っていかないと、イメージで歴史をみてしまうことがあると反省した次第です。

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