
下練馬の道標(練馬区北町1-25)
今回練馬区北町の旧川越街道を移動し、また最後に大山街道(富士街道)へ抜けてきましたが、その途中に道標があったので紹介します。

二つありますが、左側のものが「大山道道標」、右側のものが「東高野山道標」で、この横に説明板が立っています。

まず、右側の大山道道標ですが、これは旧川越街道と大山道の分岐にあたる位置なので置かれたもののようです。
上には不動明王座像が鎮座しています。この像も合わせると2mを超える高さになって存在感もすごいものがあります。

正面には「従是大山道」と真ん中に記されています。右上には「天下泰(?)平」、左上には「国土安全」という文字もみられ、旅行者の安全を祈念した道標であることが分かります。

向かって右側の側面には「武刕豊嶋郡下練馬村」「講中四拾八人」とあるので庚申講などの講の人々がつくったものかも知れません。

向かって左側にの側面には「寶暦癸酉歳八月」の文字が見られますので、1753(宝暦 3)年のものと考えられます。江戸時代中期のものですね。
もう一つの道標は拡大の写真がないのですが、正面に「□高野山道」の文字が見えるだけです。たぶん東高野山道でしょう。江戸時代の中頃、四国八十八か所霊場巡りにならって、弘法大師を祀る真言宗寺院を巡拝することが盛んになり、練馬区高野台の長命寺に向かう道を指しているもののようです。
この時期のさまざまな信仰の様子がうかがえて面白いと思います。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。