信長の野望

日本史学習について考える…

史料を読もう

© 信長の野望 All rights reserved.

20141/4

神田柳森富士(千代田区神田須田町2-25)

初詣のついでに秋葉原駅の横にある橋から見える神田柳森神社の富士塚を見てきました。

秋葉原駅の東口から南に向かい、通りを渡った先に神田ふれあい橋があります。そこから橋向こうを見るかとそこに神田柳森神社が見えます。

th_IMG_1446

この神社は由来によると長禄2年(1457)、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことによるそうで、江戸(東京)でも古いものの一つのようです。そして、神社は道路を降りた所にあります。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

小さな神社でしたが、人が何人か訪れていました。

そして、この神社の鳥居の横に溶岩などが積まれているところがあります。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

一番上の所には「三桂乃大神」という文字と、その上に富士山をかたどった形が彫られています。

th_IMG_1445

 

その下には「神田八講」などの講に関する石碑が建っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

さらにその横には「富士講関係石碑群」という千代田区教育委員会の説明板が立っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

この説明によると、次のようです。

柳森神社は、延宝八年(1680)に駿河富士宮浅間神社から分祀した富士浅間神社を、合殿・合祀しました。また『東都歳時記』には、天保期(1830~44)ころ の『富士参』の例として柳森神社があげられています。これらのことから、柳 森神社は富士講に関わりが深い神社であり、富士塚なども境内に築かれていた と思われています。この塚が明治時代以降何らかの理由で一度廃れてしまい、 これに対して昭和五年(1930)に周辺の富士講によりあらたに富士塚が再建され ました。本件の石碑群は、この時再建された富士塚の周辺に、移設あるいは設 置されたと思われます。しかし戦後には富士講そのものが廃れてしまい、昭和 三五年(1960)に富士塚は破却されました。この際、余った黒ぼくの石を境内に 積み上げて小山を築き、この周辺に富士講石碑群を設置しなおしました。こう して石碑だけが富士講の進行の痕跡として残されることになりました。

つまり、この写真の溶岩などによる小山は、昔の富士塚の跡ということなのでしょう。そういう意味では富士塚と言えないのかも知れませんが、こんな低いところでこんな形で富士塚をみることができたのは少し面白いといえるかも知れません。

 

 

関連記事

 

 

 

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

20199/8

氷川神社富士塚(板橋区氷川町21-8 氷川神社)

都営三田線の板橋区役所駅から中山道を少し下がって、板橋本町との間に氷川神社があります。 [mappress mapid="178"]…

20198/25

徳丸富士(板橋区徳丸6-34-3 北野神社)

東武東上線の東武練馬駅からほぼ真北に向かったところに徳丸北野神社があります。 [mappress mapid="177"] …

20198/21

足立区栗原3(環7通)の青面金剛像庚申塔

西新井駅西口から北に向かって環状7号線に出たところの屋敷の角に庚申塔がありました。 [mappress mapid="176"] 2つの石像…

20198/12

千住柳原富士(足立区柳原2-38-1 柳原稲荷神社)

京成関屋駅及び東武伊勢崎線の牛田駅から北に約10分ほど歩いたところに、柳原稲荷神社があります。 [mappress mapid="1…

20195/5

大川富士(足立区千住大川町12−3 大川町氷川神社)

千住駅から日光街道(国道4号線)に出て、荒川の千住新橋を渡る手前を左に降りたところを少しだけ進むと、大川町氷川神社があります。 [m…

ページ上部へ戻る