
目黒新富士跡(目黒区中目黒2丁目1−23)
目黒元富士跡からさらに南に700mほどいくと目黒新富士跡がありました。

階段になっていて、その左手にこのような標識が出ています。ここには目黒元富士に対して近藤重蔵が自宅内に富士塚をつくったものがあったそうで、目黒新富士と呼ばれていたようです。この標識の上のマンションの横の小道を通ると別所坂児童遊園に出ます。





ここに新富士そのものの説明板があり、昭和34(1959)年に取り壊された際に中腹にあった3つの石碑が置かれていました。「南無妙法蓮華経」「小御嶽」「吉日戊辰」という石碑です。

天気は良くなかったのですが、この児童公園からの眺めは高台なのでなかなか良かったです。きっと本当の富士山が見える富士塚だったのでしょう。
でも、昭和34(1959)年に取り壊されたとのことですが、今ある富士塚も壊される前にできるだけ見ておきたいものですね。また、地下に遺構があったなんてすごいですね。
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