
別所坂上の庚申塔
目黒新富士跡の説明版がある別所坂の階段の所には庚申塔が祀られていました。

横には説明版もありました。


なぜここに6つの石碑があるのかは説明されていないのが残念です。目黒区のページにも存在だけ示されていました。
手前左は庚申塔です。

板駒型で青面金剛神庚申塔です。上に日雲・月雲、足下に二鶏、足の下に三猿が配置されています。ただ、頭の所が何かを被っているような形になっているのはこれまで見たことがないかも知れません。その中央には蛇がとぐろをまいています。六臂で合掌している手以外は、右手上が三叉戟らしきもの、右手下が矢、左手上が宝輪、左手下が弓になっています。でもずいぶん弓矢が大きいですね。向かって右側には「奉納講中供養」、左側には「享保元丙申年十一月四日」と記されています。1716(享保元)年と江戸中期のものであることが分かります。

手前真ん中は板碑型の石碑ですが、中央には「奉供羪(養)帝釈天王」と書かれています。向かって右側には「武州荏原郡中目黒村」「延宝八庚申」と刻まれています。もしかしたら、これは帝釈天銘の庚申塔なのかも知れません。私はこれまで見たことがありませでしたが、あるらしいというのはどこかのサイトで見たことがありました。

手前左側は板駒型の青面金剛神像庚申塔ですね。下に三猿が配置されています。六臂で合掌している手以外は、右手上が矛らしきもの、右手下に矢、左手上が宝輪、左手下に弓を持っています。一番右の庚申塔に似ていますね。向かって右下に「庚申」の文字が見えます。左側には「元禄元戊辰年十月吉祥日」と刻まれており、1688(元禄元)年と江戸前期のもので左側のものよりも前のもののようです。

後列左側は柱状型の青面金剛神像庚申塔です。上部に日雲・月雲、下部には三猿が配置されています。六臂で合掌している手以外は、右手上が矛らしきもの、右手下に矢、左手上が宝輪、左手下に弓を持っています。向かって右側には「奉庚申待供養結生(?)爲」と読めます。向かって左側は暗くて読みにくいのですが、「元禄十」「十一月」の文字が見えます。1697(元禄10)年と江戸中期のもののようです。


後列中央は板駒型の青面金剛神像庚申塔です。上部に日雲・月雲、下部に二鶏と邪鬼とその下に三猿が配置されています。六臂で合掌している手以外は、右手上が矛らしきもの、右手下に矢、左手上が宝輪、左手下に弓を持っています。向かって右下に文字らしきものが見えますが読み取ることができません。

後列右側は板碑型で、正面に「無」「蓮華経」の文字が読み取れます。題目なのでしょうか。向かって左側には「帝釈天王」「十二月吉祥日」の文字が刻まれています。年号については読み取れませんでした。
ここでは変わった庚申塔も見られて面白かったですね。
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