
剣神社の富士塚(日高市馬引沢97)
直線距離では最も近い鉄道駅は武蔵高萩のようなのですが、駅からの移動を考えると今回は入間市駅側から向かいました。

その奥の行き止まりの手前にこのような鳥居がいきなり出てきました。「村社 剱神社」と記されています。

鳥居の先は細い杉並木になっており、鬱蒼としたところです。

奥にお社がありますが、中には何もなくすでに神社としての機能はないようです。

お社の手前左側にこのように「浅間宮」と掲げられた鳥居があります。

その鳥居の奥にあるのが富士塚でした。高さは2m弱程度でしょうか。

向かって左側からの登山道を登るとすぐに頂上です。正面には「浅間宮」と刻まれた石碑があります。その台座の石の所にお金があったので、私たちもお賽銭を出してお参りさせてもらいました。


石碑の裏側を見ると、右側に「明治十五」という文字が見えます。明治15(1882)年に設けられたものでしょうか。また、左側には「大日本扶桑教會」「富士一山講社」という文字もかすかに見えます。そういえば明治15年にそれまでの富士講が冨士一山教会として統一し「神道扶桑教」が教派神道として認められた年でしたね。そのような動きを受けたものなのでしょう。
さらに左側には「世話人 當村中…」とあるので、村の人々がこの富士塚に関わったことが伺えます。

石碑の向かって右側には小さな石祠があります。



裏側には変わった「×」の模様の入った石版がついています。側面には願主が刻まれている面と、反対側には「安政二年乙卯天二月吉日」日付が刻まれています。別のものが持ってこられたのかも知れませんが、もともとは安政 2(1855)年に始まったものなのかも知れません。

祠の反対側には「小御嶽神社」と刻まれた石碑が立っています。五合目の小御嶽神社を模したものでしょう。

頂上部分から登ってきたところをみるとこんな感じです。

石碑ごしに先ほどの浅間宮鳥居と劔神社の本殿がこんな風に見えます。

周囲は鬱蒼とした森林になっており、冬だからこのように見えるのでしょうけれど、夏だと近寄るのも難しいかも知れません。そして劔神社本殿の裏から北側にぬける林道(畠道)がありました。そこを抜けていくと下川崎の交差点のところにセブンイレブンがあったのですが、そこからはこのように富士山を望むことができました。富士塚のあった場所は少し低かったのですが、昔ならばこのように石碑と祠の間の方角に富士山が望めたのかも知れません。
ここは情報が少ないので、ちゃんと調査されているものを調べないといけないと思いました。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
劔神社は埼玉県神社庁のページにも掲載されておりました。
宮司さんもいらっしゃるようです。
http://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/11380/