
庚申塔(練馬区北町2-38 北町観音堂)
先日紹介した「下練馬の富士塚」のすぐ近く、本当に東武練馬駅そばの旧川越街道沿いに北町観音堂があります。最近整備されたようできれいになりました。そこには4つの石碑もおかれていますが、その中に庚申塔が2基あります。

この祠の横の旧川越街道沿いに4つの石碑が並んでいます。ちなみに上部に見える標識は「旧川越街道」についてしるしたものでした。

さて、一番左の庚申塔ですが、青面金剛像庚申塔で、一面六臂のこの付近には多いタイプのものです。また、全体で1m足らずの大きさですが上に屋根がついていてかなりしっかりしています。

彫りとしてはしっかり識別できるもので、上部に月と日と鶏二羽が、金剛像の手には左上に宝輪、右上に鑓(?戟かも?)、左下に弓、右下に矢をもち、残り2つは合掌しています。

下部は少し風化していますが、たぶん邪鬼らしきものを踏みつけ、その下にははっきりと分かる三猿がいます。

向かって左側には、「正徳四 甲午 天八月十九日」「武刕豊嶋郡下練馬村」の文字が読み取れます。1714(正徳 4)年のこの地域のものであることが分かります。

向かって右側はちょっと光って読みにくいですが、「奉造立青面金剛二世」の文字が読み取れます。右下に「願主 五郎右衛門」の文字があるので、この地域の代表の名前でしょう。
また、右から2番目の庚申塔ですが、先ほどのとほぼ同じくらいの大きさですが、ちょっと傘の部分が小さくなっています。また、下部の風化が少し進んでいるようです。

こちらも一面六臂で、合掌している以外の手には左上に宝輪、右上に戟、左下に弓、右下に矢をもっています。月日や鶏は上部にありそうですが不鮮明です。

下部は邪鬼の顔の部分が左側にあるのが分かりますが、三猿の顔の部分が二つ削れてしまっていて分からなくなっています。

向かって左側には「豊嶋郡下練馬村上宿 講中」の文字がはっきり見えます。こちらは上宿のもののようです。

向かって右側の側面には「寛延三庚午十一月」の文字が見えます。1750(寛延 3)年のもののようで、先ほどのものよりも36年ほどあとに建立されたものだと分かります。
花やお酒がちゃんとおかれているのを見ると、町会などの有志でちゃんと整備しているのでしょう。こうやって保存されているのは素敵ですね。
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