
谷津仙元富士(武蔵村山市中藤3-75)
狭山富士から多摩湖の南西側反対に向かいました。

この看板のところが目印でした。この看板の横の柵との間の小道が仙元神社への道になっています。


道を進んで分かれ道になったところに仙元神社がありました。

ここは現在でも活動されている富士講によって維持されている富士塚のようですね。身禄の流れを汲むから「仙元」なんでしょうか。「仙元神社」って音では「淺間神社」と同じですし、木花咲耶姫大神は富士仙元大菩薩とも言われているので、この字が充てられるのでしょうね。

神社の祠の裏には講碑が建てられいます。でも講紋は山玉講ですね。山玉講って東京の下町とか千葉県にあるものかと勝手に思っていました。

説明版の右奥には登山道らしきものが見えます。もうこの時期だとかなり草が茂ってしまって登山道もはっきりは見えません。


しかし、しばらく歩くと少し開けた感じのところがあって、頂上部がみえます。そこには小さな淺間神社の祠がありました。

頂上から西側だけ少し開けており山が見えます。もう少し左側(南側)が見えれば富士山も見えるらしいです。

北側に降りることもできたのですが、その途中に小御岳神社の石碑がありました。


さらに西側に降りることができて、少し広い道に出て、多摩湖南部の道につながっていました。
富士塚全体を撮ることはできませんでしたが、かなりの歴史を持ちながら、今なお大事にされている富士塚に登ることができて良かったです。
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