
成子富士(新宿区西新宿8-14 成子天神社)
正月の7日間が開いていると聞いたので、成子天神社にある富士塚の成子富士に登ってきました。



最初の成子天神社の石碑のところにはWikiによればもともとは鳥居があったようです(この真下の写真)。その鳥居は今はなく、鳥居に掲げられていた天満宮の文字は参道の横に置かれていました。昨年(平成26年)に造営が完成したからのようです。

富士塚は本殿の北西側、すなわち左手奥に位置していました。

高さ12mと新宿区一の大きさをほこるものだそうです。


横には富士塚の標識が立てられていました。 1920(大正 9)年と新宿区では最も新しく作られたもので、新宿区の登録文化財(新宿区指定有形民俗文化財)に指定されているそうです。


富士塚の北側には鳥居の奥に浅間神社の祠が建てられており、その前には木花咲耶姫命の像が祀られていました。木花咲耶姫命は富士山の神様であり、Wikiによればもともとはこの富士塚の上に祀られていたそうです。ただ、東日本大震災で落ちてしまったようで、今の場所に安置されるようになったようです。

反対を向くと扉が開いています。ここが開いているのは正月の7日間らしいので、今回ちょっと遅くなったのですが登に来ました。

くぐってきた鳥居の裏には大正十三年の文字がみえます。富士塚ができて三年目につくられたもののようです。

また、竣成記念碑も扉の横にはありました。




最初はなだらかな参道が続き、横にいくつかの石碑が配置されています。丸藤成子講によるものらしいので、上の丸藤の図案に成子という文字が付けられているので、これらは講碑なのでしょう。


しばらく歩くと分かれ道です。右に上る道があるので、こちらがメインなのでしょうか。




この上りの周辺にも講碑などが建ち並んでいます。

中ほどに祠がありました。




ここから先は確かに少し傾斜がきつくなっています。

そして頂上に登ってきました。木花咲耶姫命の像に変わって今は新しい祠が置かれています。

上から下の浅間神社の祠と木花咲耶姫命の像をのぞむとこんな感じです。



さらに下を見下ろすと12mは確かにかなり高い感じがします。

反対側のところを降りていくと道が合流していました。これを下っていくと、最初の分かれ道の所に出られるようです。



降りた裏手側からの眺めです。

降りてみると、高層マンションの真ん中にあるのがわかります。この工事にともなって移設や取り壊しの話しもあったとききました。

知ってか知らずか、次から次へと登頂する一行がいました。

そして、昔は閉じていたとする北側の門はなくなっており、隣接するマンションの駐車場らしきところとつながっていました。そこにも赤い成子天神社の鳥居があり、そこから富士塚をながめるとこんな感じでした。
こうやって、富士塚も開発の過程の中で姿を変えてしまうんですね。その時その時の様子をこうやって記録できるってすばらしいです。
なお、この富士塚には七福神の石像もあったそうですが、それらは成子天神社の参道などに移されていました。これは次回紹介します。
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