
護国寺の庚申塔
今日(10/13)に、護国寺を訪れました。以前富士塚を探検しに出かけ、普段も近くを通るのですが、なかなかちゃんと訪れてゆっくり見る機会がなかったので、今日は少し時間をかけて見てきました。
今日の護国寺はこの写真にあるように、境内で骨董市が開かれていました。また庵などで茶会が催されており着物を着た女性がたくさんいました。
護国寺には、有名な人の墓があることが知られているのですが、これまでちゃんと見たことがありませんでした。写真は本堂ですが、
この正面を向いて右手奥(北西側)には、大隈重信の墓があります。
また本堂裏手は今工事の事務所がありますが、その奥には三条実美の墓があります。
そして、三条公の墓の南側に薬師堂がありますが、その裏手に有名な音羽講中庚申塔があります。
見て分かるのですが、とても変わった形をしています。横に文京区の教育委員会の説明書きがあります。
この説明書きにもあるように、この庚申塔はとても大きいこと(高さ210cm)、そして特殊な形をしているという点で、他にも例を見ないものだそうです。特に形の点では、この台座の装飾がすごいと思います。
三猿が須弥壇を支えている形になっています。またその須弥壇もしっかりとした装飾が施されています。この写真では切れてしまいましたが、猿の下には龍の彫刻が施されており、すごく手間のかかっているものだということです。台座のところには「天明五乙巳歳十一月吉祥日」と記されていますので、1785年のもので、台座下に護国寺の門前にある音羽の講の名前が記されています。
まだ、それほど多くの実物を見たわけではないのですが、これまでに見たことがない規模や装飾のすばらしい庚申塔で、当時の人の思いが伝わるような感動をおぼえるものでした。
なお、旧薬師堂を大正時代の火災以後太子堂としてうつしたそうですが、その太子堂と鐘楼の間が坂になっているのですが、そこにも2つの庚申塔を見つけました。他にもあるらしいのですが、写真に撮れたものは2つだけでした。
一つ目は太子堂の向かって左側の植え込みのところで、写真のように全体像は見えません。崖になっているので、思い切り手を伸ばして撮ってこの写真の状態です。でも、青面金剛像とおぼしき塔です。
今は葉っぱが多くて下が全く見えませんが、向かって左側に「正徳」の文字が見えるらしく、正徳年間(1711~1716)のもののようです。冬に行ったらもう少し見えるのでしょうか。
また、この庚申塔の右手、鐘楼の裏手に繋がる道の手前にもう一つ庚申塔がありました。
ちょうどこの庚申塔の前だけ植え込みがなくて全体像が見えるものでした。ここからは見えないのですが、「元禄二己巳三月廿三日」の銘があり17世紀のもので他のものよりも古い時期のもののようです。
青面金剛像の庚申塔で、左手の一部が欠けて見えなくなっていますが、右手には、矛、矢、剣をそれぞれ持っており、左手には、法輪、弓(欠けている)で、手前は人でしょうか。下部に三猿があるのですが、
この踏みつけている邪鬼がどうみても顔の周りにたてがみのような装飾があって、ライオンのように見えます。このような邪鬼も初めて見ました。とても面白いですね。
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