
根津神社の庚申塔 [2](文京区根津1−28−9 根津神社)
根津神社にある6基の庚申塔がまとめて祀られています。今回はその残りの3基をまとめようと思います。
裏側の(3)・(4)・(5)の三基です。

前回の聖観音像庚申塔の左隣に(3)の青面金剛神像庚申塔があります。

笠付き角柱型で六臂の青面金剛神立像の庚申塔です。上部に瑞雲と日月が見えます。六臂ですが、持ち物がよく分かりません。左上が宝輪、右上が矛のようなものであることはわかるのですが、右下が矢のように見えるのに、左下が弓には見えなくて、どちらも棒状にも見えます。手前の手は合掌をしておらず、右手は笏のように見えますが、手の下の部分を見るとショケラのようにも見えます。

足下に邪鬼を踏みつけていますが、邪鬼というよりも犬のような雰囲気ですね。そして、その下によく三猿が配置されているのですが、こちらは二鶏が配置され、その下には施主と思われる人々の名が刻まれています。

角柱の向かって右側の側面には、「奉造立庚申塔爲二世安樂」と刻まれ、その両側に「元禄五 壬申 ? 五月十一日」と記されていますので、元禄 5(1692)年と江戸時代前期の比較的古めの庚申塔であることが分かります。それもあって像の風化が激しいのでしょうか。

角柱の向かって左側には「南無阿弥陀佛」と刻まれています。阿弥陀如来の庚申塔があるとは聞いていますが、それとは違うように思われます。これは石碑だから彫られたものなのでしょうか。

続いて(4)の青面金剛神像庚申塔。
埋め込まれているので良くわからないのですが、板碑型のように見えます。上部に日・月が配置されています。六臂の青面金剛神立像で、右の上に鎗のようなもの、下に矢、前に笏のようなものを、左の上に宝輪、下に弓、前にショケラをもっています。これはショケラでまず間違いない気がします。

下部には三猿が配置されていました。

向かって右には「延宝八 庚申 歳」、向かって左側には「六月吉 祥日」と記されていますので、延宝 8(1680)年とこちらも江戸時代前期のもののようです。
そして、最後が(5)の梵字の板碑型の庚申塔です。

真ん中に「奉造立庚申供養一結衆二世成就攸」と刻まれているので庚申塔であることが分かります。

向かって右側には「寛永九年 壬申」、左側には「初春六(?)二日」「都嶋凍馬米村」と刻まれています。寛永 9(1632)年というので、この6基の中では最も古いもので、文京区では最も古いタイプのもののようです。確かにこれまでみた江戸時代のもののなかでも古いもののだと思われます。「豊嶋郡駒込村」なのだと思いますが、当て字なのでしょうか。もしくは別の意味があるのでしょうか。
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