
木曽呂の富士塚(川口市東内野594-1)
東浦和駅に行くことがあったので、ちょっと遠かったですが木曽呂の富士塚まで歩いてみました。
見沼代用水の東縁にかかる山口橋の手前に稲荷社があり、その橋の所からみるとこんな感じでした。

住宅の奥のこんもりとしているところが富士塚です。

103号から横道に入って坂を登るとこんな風に小山が見えます。

回り込んで奥に進むと鳥居と大きな案内板と右側に小さな案内板が出ています。


これらを見てみると寛政12(1800)年に丸参講の信者蓮見知重の発願によって造られた埼玉県最古のものだそうです。かなり初期のものなんですね。

大きな案内板の下には、案内板通り石造や地蔵尊像などがあります。

逆光で見にくいですが、これが「富士登山三十三度修行」の碑です。

その隣が「伊勢太々碑」です。

その隣は「鹿島太々記念」碑です。

さらにその奥は「登山隔年修行」の碑です。



その手前には、そして登山道があって、そのちょっと上の方に碑が建っています。

その斜め上には「登山三拾三度 真行明山」の碑があります。この碑の左下には丸に「参」の講紋が見えます。

登山道は途中から折り返しこのような段になっています。頂上には祠はありません。お鉢巡りができるように頂上には穴があるというのですが、ちょっと凹んでいるかなぁ程度です。

そして反対側にも登山道(下山道?)があります。

少し降りたところからこのような祠が見えます。

さらに、その横には下に降りる階段があります。


階段を降りたところの横には穴が開けられています。


穴の手前には3つの石造物があります。「文□六年七月十□」という文字は1809(文化 6)年のようにも見えます。


さらに下に降りることができるます。そこからみると、この富士塚はかなり高いですね。

降りたところから上を見ると、かなり急傾斜の盛り土であることが分かります。

そして、社殿の下辺りにももう1つ穴が空いています。これが、胎内巡りができる横穴だったのでしょう。
先ほどの写真にあるように、この富士塚の高さが5.4m、直径20mとなっていますが、実際には一番下から17mもあります。すごい盛り土ですね。ただここには黒ボクは見られませんでした。初期のものは富士山に見立てるのがもとで、富士山の黒ボクなどは特に必要ないのかも知れません。建てられた場所も含めてこの富士塚には驚かされることばかりでした。
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