
鉄砲洲富士(中央区湊1-6)
中央区に唯一残っているといわれている鉄砲洲富士を見に行きました。
場所は鐵砲洲稲荷神社の中にあります。

鳥居の横に鐵砲洲稲荷神社の由来が掲げられていました。

明治元年にこの地に移されたもので、関東大震災で被害を受けたけれど復興したということで、富士塚も移されたものなのでしょうか?江戸名所図絵に記されているということは天保年間には存在していたのですから、神社だけが移されたのか、これだけでは分かりませんね。
入って右手に社務所がありますが、その横に力石と並んで富士塚の立て札が立っていました。

その奥に6mほどの富士塚がありました。

大きな鳥居があって立派ですが、登れないとのことです。鳥居の下から上をのぞむとこんな感じです。

溶岩で固められ、たくさんの富士講の碑が建っています。正面からは頂上の祠が見えませんが、横に少し回ると頂上の祠が見えます。

富士講の碑はこんなものがありました。





2枚目の鳥居の横にある講碑は、昭和36(1961)年のもので、この地の鉄砲洲富士講というのが続いているということですね。ちなみに最後の5枚目のものは講碑ではないようですが、先ほどの鉄砲洲稲荷神社の由来が刻まれています。もともとは寛政年間に神社は作られたことが記されています。
鳥居の向かって左側にまわると狐の像が祀られていました。稲荷神社なので当たり前かも知れませんが。

さらにその奥には登山道がありました。

その先には燈篭と祠があります。

また、鳥居の向かって右側には稲荷神社の祠でしょうか。

その下には講碑と穴がありました。こんなのは初めて見ました。

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